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  • 日焼け派「描かれたプール、日焼けあとがついた」

日焼け通信 2019/11/20

Ongoingが正面から見える長い道があって、だいたいいつもそこをOngoingに向かってずーっと南下するんだけれど、その道のOngoing内部の様子が窓から伺い知れるより少し手前の段階で、赤い豆球が三角に並んで点滅している標識が今日はやけに目に入って「なんか」と思う。自転車の速度で過ぎた。4時間くらいあとの帰り道に、「この夜遅くなってからのこの道は、普段逆向きの帰宅方向にしか帰らないからだ、出勤の時は午前中だから、単に普段見ない豆球だったんだ」とずいぶん過ぎて、青梅街道の交差点に差し掛かったあたりで思った。

自転車をとめて窓の中を見るまでいかない感じるくらいに見ると金髪の人と知巳さんと大木さんが窓側の席周辺にいて「ボーダー」と思う。そのときは誰がどうボーダーだとも思っていなかったけれど、大木さんが生成りの地に細いえんじ色ボーダーのシャツを上着の下に着ているのを段々認識する。外から見たときは見えなかったけれど5歳くらいの子供もいて、その子に知巳さんが「マヨネーズと、ケチャップ、どっちが好き?」と質問している時、私はパソコンで何かしていた。聞いていて、コミュニケーションのエッセンス、という感じがした。到着した瞬間はその子が頼んだオニオンリングをメイちゃんが作り始めていたところだった。七時前に玲子ちゃんが日焼け派グループメッセンジャーにリマインダーを送ってくれる。昨日自分が送るよ!と言って結局送り忘れていた。

冨井さんからメッセージがきたと思ってそしたら電話がきて、たくさんのことが立て込んでしまっていてとにかく大学から帰るわけにいかない状況とのことで

「大丈夫だろうか、とおもっていました」

「いやー!だめですね!」

明るい強い声。その20分前くらいに玲子ちゃんと「人間ってそんなことができるんだろうか」と表面に現れている展示だけでも今二つある冨井さんの状況について言葉を交わしていた。やはり「だめですね!」らしい。そうですよねとおもう、たいへんなことだ。我が事として想像もできない、おそろしいことだ。我が事として受け止めたらよわいこころが壊れそう。


「二回半見ちゃった」と降りてきた長田さんが言っていた。大木さんの作品。

自分はまだこの編集バージョンを見ていない。


自分、玲子ちゃん、長田さん、が同じ机に集まリ始めたところで大木さんの展示の中にあった梱包材に包まれた抽象画に言及したら、大木さんが二階から持ってきて梱包を解いて見せてくれて、さらに高一の15歳の4月に描いて特選に選ばれて都美術館に飾られた〇〇寺(これ書いたとき失念/でも翌日タイトル記述で南養寺と判明)を描いた油絵も持ってきて見せてくれる。いい絵~!すごい!と盛り上がると、「そお?」「この空間らへんが」「へ~そお?構図がでも変わってるよねやっぱ建築だから」「構図も~!」「そうなんだ?わからないけれど一生懸命かいてるよね、へ~よかった、持ってきてて」「インド人が上の階に住んでてその水道工事で水浸しになりそうだっていうから、」「あ、と思って、あれこれと持ってきていて、」「いつもそんなかんじだから」「へ~でも絵の人だもんね~これいいんだ」「都美術館に展示しようか」「いいと思います!」「めちゃめちゃいいです!」などやりとり、「そうなんだ?」と奥のテーブルの人たちにも見せに行っていた。

私は木のところの描写がまずいいと思ったけど、そのあと、多分次の日、そのいいと言われていた空間のところを見てたしかにとってもいい、としみじみ見た。視点が自分のものになる、人の視点が自分に導入される。意外と簡単に導入される気がする。


7時半少し過ぎたところで高石さんにテレビ電話をかける。

ここまでの段階で自分がOngoingに到着してから1時間半くらい経って、なんかしなければらならないことがいっぱいあるかんじがあって、人といろいろを交わしながらずっとパソコンに半分意識がいっていたけれど、何をしていたんだろうか思い出せない。


高石さんが画面に映し出されると「おお~!」と長田さん私玲子ちゃん、一同どよめいて、どよめいたことに笑えてしまった。画面の端に見えるレンガ、白い壁、木の柱、窓からの光、”自分の思うフィンランドっぽさ”にどよめいてしまったんだと思う、思うと自分のミーハーさにさらに笑えるという状況。

さて、ミーティング始まったはいいけど、これは始まったのかな、ちょっとどうしようか、となるんだけど、促してもらって直近で絶対決めていかなければならないことから、ひとまず話す。まず、1月の現実的下見に向けた12月の下見に対してのスケジュール提出。あと、12月末までに決めるイベントとゲストについて。


イベントと言っても展示の内容に即したものにするためにもう少し内容を今一度紐解いて理解し直すことが必要なのではないか。

“アーティストトークという形をとって、そこに司会の人としてのゲストに来てもらうという形”がよさそうではないかと今のところ考えています、そして、「きのう話したりしたんだけど、アーティストトークってなんなんだろうみたいな自己言及的なことがいつの間にか浮き彫りになる変な仕組みがあるトークをしてもいいと思うんです、けどどんな仕組みか何にも決まっていません」

話しながら、何か言っているのに何も言っていないと思う。

今まで、AさんとBさんの名前が出ていたけど、…と出す。

Aさん「いいけど真面目なんだよね~」

Bさん「いいけど何かを打ち出すって感じでもない」

と高石さん。(これ書いていいのかな、こういうの、アウティングって言うと思うんです、公開する日記書いてて思う、もしほんきで公開する時が来てしまったらイニシャルにしましょうか、それか、なくす。)


っていうかそのそもそも会場構成をどうしようか。

という話になってもう話が止まる。

「ちなみに」と玲子ちゃんが言ってくれて

ちなみに他のグループは日本画を東アジアの絵画として捉え直すコンセプトの日本画の展示と、映像とかパフォーマンスの都市がテーマの展示らしい。と途中からは自分が言い始めて言い終わっていた。

「そしたらうちら、こいういうふうにだと、どう説明されてるんだろうね」確かに見当もつかない。

「リサーチベースの作品に敵意を燃やしている展示」とか言われたら誤解を生むし間違っているからどうしようというのは今書きながら思っている。


そもそもどんなコンセプトだったのか共有し直さないと、と言われて、

プレゼンの時のKeynoteのアニメーションを送ろう!

「わたしのじまんのアニメーションを」と体を斜めにしながら発語。


大木さんは奥に行ったり、時々戻ってきたりして

「あ!大木さん、高石さんです」

って画面兼カメラのmacを向けようとすると「いいの!」とかいってよけて手をパパッと画面の前に振るアクションをしたりしていた。


「あとはるかサン、新聞」と玲子ちゃんが言って

「そう新聞が作りたさ過ぎて新聞の話ばかりしそうなのを抑えていた昨日があったんですけど

新聞作りましょう

「いい~!できそう」「それを配って宣伝もできるし!」

「これ高石さん知ってます?」

「あーていうか友達が作ってるそれ」

「これやりたいという気持ち、憧れが強すぎてこれ(二光年という京都芸大出身の人たちが作ってる新聞)自体を作りそうだからもう見ないでおこうと思ってるんですけど」「憧れすぎてこれ持ち運びすぎてちぎれてきちゃった」

「これはもだもだモダニズム号だって」

「日焼け派号」

「記録、レコード、アーカイブ号」

「仮想敵号」「あ~でもそういうのいいね」

「私にとっての日焼けコーナー、アトリエ訪問コーナー」「あと最近面白かった本コーナーとか、」「そう面白かった移動コーナー、面白かったご飯、面白かった場所、展示」

「よさそう~」「そしたら、その言ったみたいなコンテンツを15個くらい用意して、そこに当てはめて一人6個ずつ提出してもらって、」「紙面でキュレーションみたいにするとか」と長田さんが言って”紙面でキュレーション!”と思って、紙面でキュレーション とノートに書いた。

長田さんが何かを肯定してくれる時の発語を聞くと、湿ったグレーの土粘土を透明な物差しで切るようなスッ…というムードを感じる時がある。声の調子だけではなくて、実際の社会でその思いつきだとかが生きると見た時の視点が発揮されている感じの時。

「描かれたプール号」

「描かれたプール号は可愛いな」

「ふねみたい」


そろそろ終わりか、というときに差し掛かって昨日のメモを見て、ア…と思って

言わないまま終わりそうだけど

ウ…!

「Youtubeで配信とか…」

というと

「日記の方がいいんじゃない?」と高石さんに言われて

「日記で会議を書き留めるとか。」

「議事録が日記でおこなわれる」

「それは自分の認知の歪みがこわい~~!」

「ほんとにこわい~このまえもこわかった~玲子ちゃんと分担しようねって言ったのに自分が勢いが止まらなくて全部メール送っちゃったんです」

「自分で自分がこわい」

「でもあんまり機能を持たせない方が良いね、」

「うん」「うん」

「そうですね、(その認知の歪みはおいておいたとして)機能が目的化するとそれが方向になっちゃうから(日記の形をとる意味ない)」※ここでの()内は機能を持たせない方がいいという発言がなされた時点で共有できている気がして発語していない

「はるか通信いいじゃん」

いける気がした。

「いける気がします」


はるか通信書いてて今これほとんどの出来事忘れている。


だけど

Youtubeのこと言わなかったら、日記って話も出なかったし、

会議というのをするときに、これあたりまえかもしれないけれど、

全員を一個の脳みそだとして考えたら

ミステイクがあってもなんでも、発語しないとそこに電気信号は起こらない、だから、とにかく、出さなきゃ、出すといいんだな、と思った。


玲子ちゃんが長田さんに「もしかしてなにか、アイディア浮かんでる?」

「え、ううん!思いついたらすぐ口にでちゃうから、何も言ってない時は、何も浮かんでないよ!」

という会話


「なんか食べてる」「ほんとだなんか食べてる」

「何食べてるんですか」「ヨーグルトかな」

画面に近づけて見せてくれる

「クリームブリュレって書いてある」「全然クリームブリュレっぽくない」「ヨーグルトに見える」

「クリームブリュレって書いてあるけどヨーグルトだねこれ」

「笑える」「なんかいい図~」「あ写真撮ってる」

「こっち飯不味いんだよね」

「あ」「スクショとればいいかと思って」「たしかに!」

「あなんかまた見せてくれてる」

「ようなしかな」「ようなしっぽい」

「これこっちでうまかったもの」

「ようなしですか?」

応答なし

「スクショだ」「いい~」

「すごいいいイメージが撮れた…」「いっぱいイメージができたね」

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