13日の日記を禾ちゃんにおっぱいあげて寝かしつけ終わったら起きて書こうと思っていたのに、結局そのまま寝てしまって14日の朝にこれを書いている。
「あれ?起きるって言ってたじゃん、おーい」と親切に池田が起こそうと声をかけてくれたのは覚えているけどその際は「寝てるのに!」と思ってもはや半分ムカついていた。
1月13日は朝から家族で八王子にいた。多摩美の卒制の感想会?というか対話というかをする仕事が昨日からあり、『例年夜19時半とかまでかかるらしい』という噂を聞いた私は怯えて八王子に泊まることを考えつき、そしたら池田と禾も泊まって卒制観れば良いんじゃないかな?ということになってそれを実行してみた。実際は意外と17時半のバスに間に合う普通の時間に終わり、だったら泊まらなくてもよかったかな?と思ったけど、まあそれでもヘトヘトにはなっているし、前日「楽しみ〜」と家じゃないところの宿泊を楽しみにしていた池田もいた(かわいいよね)し、いいかいいかと思った。
朝目が覚めると池田はすでに起きて朝ごはんを済ませていて、
「レーズンパンが美味しかった」と言っていた。レーズンパンは私の好物だけれどイケちゃんはそんなに好まないと思う食べ物だから普段一緒には買わないんだけど、昨夜は私が疲れておりますのでという強気があり、朝ご飯のパンの一つにレーズンパンを選んだから、それはよかったことだと思いながら起きる。
皆で八王子からたまび行きの9時発のバスに乗る。
昨日一緒に卒制を回ったEさんが「優しさって実際の行為のことだから」と言っていて本当にそうだと思ったのが心に残っていて、優しくありたいと思って、私が当然だと思っているが外からきたら当然知らない多摩美の作りやこういう風にここで過ごしたら快適かもとかをあれこれあれこれ思いつく時々に紹介しながらバスに乗り込み、「このバスは2~30分かかる」と言ったが10分せず到着して目玉飛び出た。土曜日は道が空いているのかしら。
守衛所で「10時からなんですよ」呼び止められ、
「わ、そうなんですね、私は教職員なんですけど、でもこの人たちはもちろん違います」と言って
じゃあだめじゃん?と思ったけど「それなら大丈夫」とニコニコ女性の守衛さんが言って、そですかそれじゃあと数歩歩いてハッと引き返し 「たまびっておむつ替えスペースとかって存在しないですよね」と聞いてみたら、
「芸祭の時とかは設置されていたんですが、ないと思う…」という答えだった。
ビバホームに行くか、保健室とかに伺ってみるかなどと考えていたけれど、結局助手さんに相談をしたら、今日は人も少ないしというところもあって油画研究室のついたてのところでおむつ換えをさせてもらえることになって、とても助かった。今思ったけれど禾ちゃんゆけんでオムツ換えた史上初の人物かもしれない。
ゆけんに入っていけちゃんは「じゃあここに玲子ちゃんがいたんだね」と感慨を感じていたよ。
BさんSさん事務の女性が目を細めて禾を眼差してくれる。禾は地面に降ろされた最初は緊張して前を向いたまま立った姿勢でつっかえ棒みたいに斜めになって後ろ頭を池田の足にくっつけていたけれど、段々慣れて、口元に微笑みが浮かび、自分の乗ってきたベビーカーをくりまわし始め、おやつを食べ、OJUNさんの画集を読んでいた。EさんIさんが同時にゆけんに入ってきて禾の姿にほほほとウケていた。批評会の時使う椅子に座る禾は「赤ちゃん先生」と声をかけられていた。挨拶をして池田禾は展示を見に向かう。その前に、6枚か8枚でっかい抽象ペインティングがある部屋だけ禾と私の二人で見たけれど、でっかいペインティングにダーっと近づいていって良い距離で止まってくれて、ペインティングとの距離いいね、いい距離いい距離、と言いながら、そのあとも一枚一枚の絵にダーっと近づいていき指さした指が触れそうになる直前で禾の肩をガッとつかみ「いい距離いい距離♪」と言っていた。でもそれぞれの絵が個別の何かとして禾には認識されて、ちゃんと向かっていくんだなと思った。
お昼はイイオで禾ちゃん半うどん。
禾サイズの食べ物!かわいい。
午後は池田禾先に帰るかな?と思ったけれど、なんだかんだ満喫してくれたらしく、テキスタイル彫刻日本画版画も周り、楽しんでくれていたらしくて、16時40分のバスに皆で乗ることができた。
バスに乗っているうちに雨が降ってきて、それが次第に大粒の雪になった。
八王子駅で雪が舞っているのを見る。
昼間はあったかかったのに、にわかに寒くなった。
勤務日でたとえば保育園が休みのどうしようもない時(今年も一度そういう日はあったけれどその日はなんとか池ちゃんが休みをとってくれた)、禾ちゃんを連れて出勤することが可能そうか?とふと考えるのだけれど、今日はいけたといえばいけたけれど、むしろ無理そうとも感じた。それは禾ちゃんが今1歳4ヶ月で絶妙な立ち歩きと意思とが生じてきて、という時期もあってむしろもっと前だったら可能だったかな?とか、でももう少ししたらまた可能というフェーズになるのかな?とか。
でもちょっとだけ「それが実際どういうことか、どのように難しいか」というのが分かって、その分別の量の増加は困難さが増えたというよりもその方向に向かった前進だと思った。
「公私混同女」というワードが頭に浮かんだけれど、昨日誰にもそれを実際に言うことはなかった。
玲子ちゃんの日記を帰りの電車でちゃんと読む。昼休憩の時も一度読んだけれど、もう一度嬉しく読む。
いっぱい書いてくれて嬉しい!と思う。
硬筆でカリカリ書く玲子ちゃんの体の感じ。
私の変なツボに字がびっしりドローイングに
「われらちっちゃい文字族だね」と玲子ちゃんが言っていたのを思い出す。
『自分で自分に恥ずかしがっているのかもね?』っていいね。
私はね、それもあるし、でも恥ずかしいを超えて
自分で自分に開き直っているのかもね?と思う時もあるよ。笑
逃げるピース
というのを読んだことで、
お昼食べてアートテークの展示を見て一人になって多摩美の坂道を降りながら、追いかけるピース?と思った時があった。
「描かれたプール、日焼けあとがついた」を企画しようとしていた2019年に「動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある」ってデリダの本のタイトルをもじったタイトルをつけようとして、相談したSさんに「デリダに頼りすぎでは」と微笑み言われてガーンとなって考え直したのを思い出した。考え直してよかったよ。だけど何かその追うみたいなアクティブさはなんか私たちが気になるところなのかもしれない。
ピースがアクティブになってきてるのいいね。
アクティブなピース(New)
そういえばおでんの時、
2008年とかの予備校時代に玲子ちゃんが描いていた横長の緑と黒の絵を思い出して私が話したら
「なんか走ってる人をよく描いてた」
って玲子ちゃんが言って、
「なんで」とか「走ってる人って描いた事ないかも?!」とか「どうやってそれかくの?」とか阿部さん池田と口々にウケてたんだけど、
"走り"を"絵に描く"って不可能なことでありつつ、
しかし、唯一"描くこと"が可能にする部分なんじゃないか、
と言う言葉まではその時いかないで、ただその不可能性の孕む面白さを予感のように感じたり、15年も前に見た絵を覚えているなんて(しかも私は玲子ちゃんとその時多分話したことない)結構その絵がすごいのと人間ってすごいというのと青春の憧れのパワーを感じていた。
私も走っている人描いてみようかしら。
私、眠っている人は時々描く。
"眠り"は描けないけど、眠っている人は描ける。
帰宅して前置きなく玲子ちゃんに電話してみたら出てくれた。
この日記以外に1日5分電話しようって今のところ言ってる。
「逃げ回るピース」「トムとジェリーみたい」など。
電話し終わったら10分ちょっとたっていて、今日の卒制批評会というかもひとり10分という単位でいろんなことを話したなと思った。いろんな10分がある。
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