禾と保育園に行く前に「しろくまちゃんのほっとけーき」を読んだ。もっと小さい頃から読んでるから、もうボロボロになってきている。この本の私と禾への染み込みっぷりは他のこぐまちゃんの本とも全然違う。
村上春樹「騎士団長殺し」を聞きながら朝ご飯の洗い物をしていたら終わってしまってびっくり。「わあ!終わっちゃった」と声に出して、イヤホンに電波を飛ばしてくれていたケータイに駆け寄ってしまった。駆け寄らなくてもいいのに、次の何かを聞かねばと思ってしまったっぽい。
全部で20時間以上あるお話で、年末から時々聞いていたものがふと終わって本当にびっくりした。朗読がうますぎて高橋一生がめちゃめちゃ好きになった。もはや村上春樹もその分好きになった。読書とも映画とも違う経験がAudibleにはあり、楽しい。なかなか「これだ!」という物語や朗読の人の感じが多くはないのだけれど、すごい時はすごい。「黄色い家」の大原櫻子さんも素晴らしすぎて、他に彼女が読んでいる物語がないか探したものだけれど、今のところ「食が壊れる!」という新書以外にはなかった。
そのまま久しぶりに安住紳一郎の日曜天国を聞いていて、「三浪目の息子が、自分を追い詰めながら頑張っている話」をお便りとして聞いていたら涙が膜状に眼球を覆った。自分の予備校時代というよりは、未来の禾と重ねて、涙が出た。だったら禾はもはやAO入試や推薦で、伸び伸びプレッシャーを感じずに青春時代を過ごしてほしい、伸び伸び暮らしてほしいと思ったりもしたが安住さんは「私はAO入試や推薦で大学に入学した人たちに対しては思うところがある、これでも言い方がだいぶマイルドになった方」と言っていた。
今日は時間を間違えずに歯医者。
受付の人に「先日は時間を間違えてしまってごめんなさい」と謝ると全然大丈夫ですと言われたがそれでも先生にも謝る。
10年以上前に治療していた場所が合わなくなってきているように見受けられるところを綺麗にしてもらう。特に大ごとにはなっていなかったようで、でもやらなくてよかったとは思わない。心配事が減るならそれがいい。
ちょっと仕事してから帰ろうと思って、スタバ以外にどこがいいか、考える。以前はなんとなく好きでスタバ一択だったが、ガザでの虐殺を支援している企業だと知ってからはスタバを選択することはできなくなっている。自分の行為が役に立つと思っているのではない。ただ、私がスタバのティーラテを飲むことが間接的にガザの子供を殺しているのだとしたらと考えるととても選択することができなくなったというだけのことだ。正しさはない。いつも混んでいるイメージのドトールに来てみたら、そんなに混んではいなくて、安価で、割とよかった。
帰宅して大したことはしていなかった。なんとなくしけた日だった。アトリエの物を移動し続けていた。何かが心配なのは何かと思ったらもう一つの展示のことで、しかしなんだってやってみるしかないことが連続してできていく、なので心配事を紙に書いてみたらその実行で半分解決した気になって若干心が軽くなったりしていた。
夕食にズボラな作り方のビビンパを作ったら美味しかったし美味しそうで自分でも写真撮っちゃった。ひき肉甘辛くして、ナムルは一つのフライパンにもやしと小松菜とにんじんをそれぞれ場所を侵食し合わないように乗せて、蓋をして蒸して量が減ったところにごま油と塩を足して、それぞれの野菜が混ざり合わないように各々混ぜながらちょっと水気を飛ばす感じで炒めたら茹でた時の絞る手間もなくてよかった。キムチやコチュジャンや温泉卵を乗っけた。禾ちゃんもひき肉野菜ご飯を食べて、美味しい〜のジェスチャー(両手を掲げて前後に振る)をしていた。かわいい。
ご飯を食べているとぴろりんと玲子ちゃんから日記かけた旨のラインが来た。
チラッと見て、確かにこれは時間がかかるだろう!と思った。
重要なことが書いてある。
お風呂を出た禾が車とバイクを両手に持ってワ〜と無双しているところに玲子ちゃんから電話が来ていてかけ直す。
「玲子ちゃんが大きい絵を描いていると言っていたけれど、私も同じくらい大きい絵を描こうかしらん。」と言った。
「制作に差し障らないように、、、しかし一日ずつかく緊張感を失わずに」という内容もお互いに話した。
その後すぐ、今日こそはと思って、禾を寝かせることを集中しておこなった。
私の自家製禾ちゃん子守唄があって、それで寝てくれた。私も寝ずにいられた。凄い久しぶりの一緒に寝ないことに成功。。。
それでお風呂入って出たら池田が「たまびがあんな作りで、坂道を転げ落ちる人も見て、(IくんとMがペア課題で一緒にトロッコみたいなものを作ってそれに乗ってあの坂を凄い速さで降りていったのを見たけど今思うと危険すぎるという話をあの坂でベビーカーを押しながらそれが重くて池田に話したから)だから春佳は重力とか考えるようになったかもね」と言った。
「そうか?!」と笑った。
「でも確かに実行する運動性とか、そもそも階段を登りまくることとか筋肉を使うこととか、または位置エネルギーのことはすごく考えていたかも」とちょっと思い当たりもして言った。
「こんな大きいお尻して大丈夫?」と言われて「痩せたい」と言ったら
「玲子ちゃんと一緒に走れば。こんなことしてるくらいなら走りながら会話してそれをビデオ作品にすれば」と言われて、凄い実行のフェーズ…と思った。しかしあながち間違ってもない方向かも知れないともちょっと思った。ビデオ作品には絶対しない気がするけど笑、運動というかフィジカルな部分って、結構日焼け派の重要な部分っぽい気もする。
走るピース?
それで、
でもと思って日記を書いてます今。
でも書く前に、玲子ちゃんの日記をもう一度読んで、ここ重要すぎじゃない?と思って、
走る絵のことの部分をなんかわかんないけど自分のノートに筆写した。笑
筆写したからといって何が起きるわけではないけれど、でも玲子ちゃんの文体みたいなものが何かしらうつってこないとは限らなくて、何かの筋肉がついて今こういう文章を書いてるかもしれない。
走る絵/何かの筋肉/逃げるピース
今これでも真面目にタイトル考えてるんだよ。笑
"絵の中で起こる運動性に対しての、形という固体?の関係"
というのを字で書いてみたら、言葉で捉えきれないものの輪郭すぎて意味がわかんなかった。けど、形という個体の保有する絵の中での運動性みたいなこと。。?でもそれに留まらないからはてながついてるんだろうな。
slapstick piece は何か調べちゃった。ドタバタ劇という意味なんだね。
トムとジェリー、逃げる役と追いかける役が反転したり示唆的というのは確かにそうだけど私は全然ただ享受していた。
結構トムが可哀想なことが多いんだよね。その見え方にいろいろ重ね合わせても、たしかにうっとなるような。。。
逃げるピースが追いかける私たち?
あと、玲子ちゃんが報道写真のシルエットだけ拝借して絵にしていたけれど、それをモチーフとして利用するのはやっぱりやめよう、と思ったというのは日焼け派的な話だなと思った。
日焼け派には、ためらいがいくつかの要素のうちの一つとしてある気がする。
それは消極性ではないと思っていて…
作品がむしろ現実であるために?なんだろう。
結構適当に書いている。
昨日はよき旅だったようで何より!😆
本興寺、初めて知った。というかFの庭園巡りというライフワークも初めて知った。笑!最高だね。
玲子ちゃんの庭を見ていた時間の文を読んで、目で見る時間の貴重さを思った。
機会があったら行ってみたい。谷文晁の部屋もネットでちょっとした画像だけ見ることができたけれど・・・凄そうだ。
ライブも楽しめたようでよかった!始まったとたん全部を忘れてぶち上がった…。そういう勢いが私の制作にもあったらいいなと思った。笑
そういえば最近、禾と絵を一緒に大きい紙とかに描いて遊ぶとき、禾が「ああっ」とか「ドゥー!」とか言いながら線をひくのを真似して「アアッ」とか言いながら描くの結構たのしい。そういう勢い?笑
玲子ちゃんに電話で私書くの早いねと言われたけど早いかどうか、遅いような気もする。遅いのにいっぱいかいちゃってるんじゃないか?どうなんだろうね。筆写も含めてもう1時間経ったから終わり。
p.s たまびおむつ替えスペース問題は、確かに!投書案件かも。
そういえば一度赤ちゃん連れてる生徒さん(おそらく生徒さん)みたことあるし(!)、その子はどうしていたのかなあ。
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