寝てしまいたい気分! 歯も磨いて洗い物もしてさっぱりしたところ。油絵をさっき触ろうかと思ったけれど片付けがおざなりになりそうで嫌だなと思って今日はもうやめた。明日の私に任せた!という気分。
昨日はなんだか暗い気持ちだった。この暗さはどこまでいくんだろう、と思った。今日は幾分持ち直した。
ガザの虐殺についてのニュースを、目にしすぎなのかもしれない。
「虐殺反対、ということだけは言える」と今朝池田が淹れてくれたコーヒーを飲みながら話した。
お母さんが池ちゃんに送ってくれた「バレンタインブレンド」という豆。じっくり感じようとすると苦さが余韻として残って面白かった。
禾が保育園に行っている時にお母さんから連絡がきて「今保育園なのか」と言われると、責められてなどいないのにこっちで勝手に罪悪感が生まれる。別にお母さんが登場しなくても、ふと罪悪感めいたものが生まれる。でも赤ちゃん時代保育園に行かなかった自分が別に最高の仕上がりでは全然ないのだから、こんなに暗い気持ちになりうる人間の仕上がりなのだから、何が正解とは言えない、いろんな時がある、できることをするだけだ、それは子育てという実感ではない、ではなんなんだろう、でも一つ一つをおこなっていくだけだ。自分のことも。そう洗面所で思った。思い出したけど、私は私で冬に上半身裸で乾布摩擦をするようなスパルタ幼稚園に四歳から通ってそれから喋らなくなったらしい。かわいそう、なのと同時に、今起きていてこれから起きうる様々な環境の何もかもの禾への影響、それに対するさまざまな心配が胸に去来する!そもそもこんな暗い女に育てられることの影響!油絵の香りのする部屋がある家!
暗〜。
やば〜。
いや、禾ピカピカだから大丈夫。
影響というより、こっちが照らされる。
勝手に落ち込んでそんな自分を自分で励ます…。笑
午後2時半ごろスーパーへ買い出しに行った際、鯵、塩鮭切り身、キャベツ、もやし、切り干し大根、乾燥大豆、乾燥ひじき、醤油、ビミサン、牛乳、いきなりまんじゅう(九州フェアが催されていた)、豚こまをカゴに入れて、物の種類が多いなという直感が何か自分の癒しにつながっている感触があった。生魚をトングで掴む感触、みっしりとしたキャベツの重さの情報量が圧倒的で、しかししかもこれを全部食べることができる、というストレートさも何か癒しにつながっていた。大きい絵を描いていると、世界を再現する部分(単純に私の制作でいうと思い出して描くモチーフというのが多いのかも)が、窮屈になってくる感じがある。窮屈という言葉でいいのかわからないけれど、そうして描いていて、家の外に出た瞬間に絵の画面内と比較して圧倒的に複雑な世界に脳みそが痺れるという経験が何度かある。最近の制作において、しかも大きいやつだと尚更、描く行為の現在性、単純にこの一筆は今しか描けず再現不可能、みたいな部分が自分にとって必要になってる気がするのは、その種の窮屈さを回避しようという向きもあるのかなと今初めて思った。
絵の具と筆によるリアリティというすごく単純な話になってしまうけれど。
大きい絵を描いていて、以前大きい絵を描いていた時とはそれでもまた進め方や絵の具の乗せ方が違うようで、なぜこんな絵を描いているのかという動機についての問いにどんどん答えられない方向に進んでいく気がした。経験をするためだとしか言いようがないと思った。表すためではない。
ほんとかな?
禾ちゃんは昨日と今朝食欲がなくって、保育園のご飯は完食しているから「うちのご飯不味いのかな?」と池田と心配して今夜は禾の好きな煮魚にした。机上も花瓶やおもちゃをちょっと片付けて集中しやすくしてみた。するとすっごい食べた。なめこと豆腐の味噌汁もちゅるんちゅるんと食べていて可愛かった。よかった。鯵を煮魚にしたのは私にとって生まれて初めてだったんだけど、鯵はやっぱり塩焼きかアジフライだな〜という感想も大人には生じた。でもアジフライをあげるガッツが今自分にあるとは思えなかった。
禾に「りんご食べる?」と聞くと「ウン」と口に出して頷いた。
最近何かに登る時に、すごく小さい息みたいな声で「ヨイショ、ヨイショ」と言っているのが聞こえてめっちゃ可愛い。
玲子ちゃんから21時に電話が来た時、禾と寝入りかけていて寝ぼけたままで、一人称「はるか」と言いかけた。
DMが90°回転という思いも寄らない力技と合体で、面白くなって来た感じがする!
するよね?!私たちこれで、いいよね?!と心配と確かめをした電話だった。
力技、時に大事だね。笑
チョコはF喜んでくれた?
Sさんほどもあろう人が制作でボロボロになりうるというのが意外で、安心もするような、気が遠くもなるような。
展示楽しみ! 玲子ちゃんの昨日の日記がマル秘で、昨日「日記をやってることをSNSとかに載せようか」と相談したところだけど憚られることだなと思っています。
Comments