私ね、玲子ちゃんの職場の中の部屋ことを聞いてしか知らないんだけれど、頭の中にかなり空間のイメージができあがっている笑。あと、すごい大きいおにぎり食べる同僚の人のこととか(そんな話あったかな?夢?)。
日焼け派の展示の準備なんかの時期、玲子ちゃんの職場が大きくて夏で遠さもあって霞がかってすらいるのを見て、いいなあ広い建物での日々!ととてつもなく羨ましく思っていたのを、玲子ちゃんの日記を読んで思い出した。オンゴーイングと家の往復という狭いとこと狭いとこの往復に加えてコロナによる移動制限なんかもあって(今思い返すとなんだか本当に嘘みたいな日々だ)、体の四方が詰まっているような感じがあったな。定期的にブンブンと暴れ出したい気分があった。
現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。僕はいつのまにか、フィクションという概念を通して演劇のことを考えるようになっていた。これまでは、そんなふうに演劇を考えてきたことなんてなかった。それはひとつには僕がフィクションというものに価値を見出していなかったからである。現実が「本当のこと」で、フィクションは「嘘」で「つくりごと」である、というふうに理解していた。そして僕はただの「嘘」や「つくりごと」になんて、興味がなかった。でもそれが誤解だったと考えるようになったのだ。現実とは「本当のこと」ではない。それは現時点においてさしあたって最有力なフィクションであるというにすぎない。そしてフィクションとはただの「嘘」ではないし「つくりごと」ではない。それは潜性的な現実なのだ。だから強いフィクションは現実をおびやかす。現実にとってかわる可能性を、常に突きつけているからだ。この現実はフィクションによって励まされる必要もあるが、僕はそれと同じくらいに、こんな現実はフィクションによって脅かされなければならない、と言いたい。
(岡田利規「遡行」p.27-28)
これは2011年秋に書かれた文章で、3.11の影響が色濃くて、その時自分が感じた今までの現実だと感じていた世界の形が変化していく感覚を持ってしてすごくわかるし、コロナ禍を経てもまたわかる、、、そしてまた日焼けも感じる、、、と、昨日お風呂に浸かりながら読んだ。岡田利規のお顔を知っているはずなのに思い出そうとすると批評家で月曜の現代美術の授業の先生だった木村覚さんの顔が手前に出てきて思い出せなくなっている、と思いながら今日カクヤスの前を通った。
15分くらいだろうか、近所を散歩した。
「もう頑張りたくないな」と思った。「禾とこんなに離れてまで頑張るような働き方はしたくないな」と思った。「こんなことしても意味ないな」と思った。「全然いつでも泣けます」と思った。
2018年、伊佐治さん桃代ちゃんの結婚式の後、小川さんに
「君は自己中だから子供を産んだら3年くらい気が狂うけどそれは作家としていいことだと思う」
と言われて、もちろん本人はそんなこと言ったのすっかり忘れていたけれど、私はなんだか覚えていて、こうして時々思い出す。
こういうベクトルで狂うという話だったんだろうか。「制作したい!」ということになるのかと思っていた。別に制作なんかしたいからしてるんじゃなくて、しなければならないからしている、しかも売れていないからお金を稼ぐためにしなければならないのではなくて、だったらパン屋さんでパン売った方がいいくらいで、でもそうではなくて自分がこれをしなければならないと信じているからしているのだった。でもそれがしたいということなのかもしれなかった。
確かに「禾といたい!」というのも自己中な私のわがままで、それがなければ何かもっとうまく回っていく部分がありそうだと思った。あと一年と半年経ったらこの右往左往も落ち着くんだろうか。
5メートルはある梯子を木に立て掛けて作業している人が木々の奥に見えた。
3回靴紐が解けて3回結び直した。直すときに見た靴紐の風景はその輪郭を描く目で見る認知の形になっていて、小学生の時に描いた教室の床の上のスニーカーの絵のことを思い出した。その時の絵と今描いてる絵の感じ、ほとんど変わってないな、と思った。
"靴紐を3回も結び直した。その時、それを見たい時、小学生のころ図工のj間にスニーカーと教室の床の絵を描いた感じ、わりばしに墨をつけたものでりんかくを写しとるかんじ、色を混ぜながら塗る感じ、できた絵の特長のない感じ、でも完成と言える画面の充実のかんじ、その絵が特別すきでもきらいでもないかんじ、そのいろんな点が、今描く感じとほぼ変わらないというか、同じ感じがしたからここまでありありと思い出すし、ずっと絵が特別うまかったり、よかったりするわけでもない、今も。ただその特長のなさ、写しとる側に体を投げ出していることが、特長といえば特長であるだけ"
と絵に書いた。
今書いていてだんだんもう少し思い出したんだけどその絵の靴は本当はマジックテープタイプで水色とピンクの模様が入っているもので、靴紐の絵を描いたのは、絵というか中学生の時で、エッチングだ。勘違いだった。その版画は版画で何か学年のまとめた冊子の表紙にしてもらったくらいだから出来が良かったんだろうけれど、それもほとんど今と同じ、特にうまくない、すごく魅力的でもない、ただ普通に描かれたものだったように思う。それをただ普通と評するのは私がどこか退屈していたからだろうか。確かに友達とリスのキャラクターを描いたり犬夜叉を描いたりする方が楽しかった。音楽を聞く方が楽しかった。けれど、楽しいという言葉にならない楽しさみたいなものは、そのくつの絵を描いている間あったからそれが積み重なってある種の充実として絵になっていた感じもする。
今朝はオッパイがイテエ。と思って起きた。家中の可燃ゴミを集めて捨てて、けっこう大変なんだなあと病気で急に専業主婦の妻が臥せったので家事に挑戦せざるをえなくなったサラリーマンのように思った。いつもは池ちゃんがやってくれていることだった。布団の上げ下げも、昔はなんで私ばっかりと思っていたものだけれど、最近は池ちゃんがやってくれていたんだなとありがたく思った。ご飯を作ると3回分の作り置きになると思ったら、いつも3人分作っているからかと腑に落ちた。明日もシャケと味噌汁とご飯、ビビンパを食べる予定。ふと体重計に乗ってみたら楚々としたものしか食べていない2日間なのによく見る数字より1kgは重くて目が飛び出たけど、あ、乳が溜まって張っているぶんか〜と思った。そんなに?
今のところ乳は痛いけれど熱が出ないのが救い。
保冷剤を懐に入れて、暖房をつけて絵を描いてる。字を書いてる。夜はやっぱり昼間よりも静か。
書き始める前はポントルモの日記(懐かしいよね)みたいにさっぱり書いてみようかなと思ったのに全然、いつもよりもぐちゃぐちゃの日記になった。ポントルモの日記は「朝、ジャガイモ。昼、パンとジャガイモ。夜、ワインとハムとジャガイモ。画面右下の足をした。」くらいのものだった気がしている。今確かめに本棚へ向かう気が今はない。
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