今日は朝から雨。昨日の暑いくらいの気温から一転して寒いし暗いから、朝は眠さが続いた。
在宅勤務の日なので朝食はFと一緒に。コーヒー豆を切らしているから紅茶で、のどがまだほんの少し不安だからはちみつも入れた。この前の風邪の余波もあると思うけれど、今日の感じはもしや花粉の症状が混じっているのかもしれない。(まだ花粉症デビューしたくない…)
今朝の仕事はまず海外の人にメールを送ることから。昨日だいたい作っておいたけれど最終チェック。
何度送っても慣れない。向こうのメールのルールを守れているか緊張するし、文末に付けるBest wishesとかBest regards の本当の意味(ネイティブの人が感じる言葉の感触)はハッキリとはわかっていない。たぶんダサい表現とかをしている気もするけれど、伝わることが第一だ。
前に春佳サンに話した職場のことを覚えていてくれて驚いた。大きなおにぎりのこと!笑 久しぶりに思い出して笑っちゃった。その方は異動で別の部屋に行っちゃったから、もうそのおにぎりが見れなくて残念なんだ。
こういうちょっとした思い出を振り返ると、やっぱりけっこう時間が経ったんだなぁと前回と繰り返しになるけどまた思う。
岡田利規さんの文章いいね。
2011年か。2011年といい、日焼け派の年の2020年といい、私たちの節目の年と何か大きな災害や事件が起こる年が重なった。今思うと2011年~2013,14年ごろ断続的に具合が悪くなったりしていたな。(また体調の話だ) 今までとは別種の不安を感じた時期だった。地震や原発のことそれ自体へのショックや恐怖もあったし、世の中でヘイトスピーチが蔓延していた。 そういう時に自分が実は何を一番怖れていたかというと家族の将来のことだった。これはなかなか言語化するのは難しいから詳しくは書かないけれど、世の中がより悪い方向へ行けばすぐに影響を受けてしまうように感じて心配だったし、また自分がこういう世間から見たら夢みがちな生き方?を選択している完全に頼りない感じが、開き直りつつも開き直りきれず恐ろしかった。
その前から、制作の中で可能性として展開するものごとと、制約にもなることについて考えていて、
異なる次元のことだけれど、制作の中で起きることが何か例え話のようにも見えて、今もそのあたりのことが関心としてある。
ところで岡田さんの文章を――書かれた背景をすっとばして――読んで、また animated documentary のことを思い浮かべて頭の中だけで比較したり、あとは、前に「大の大人が目的を持たずただ走る」ことは映像の中でしか実現しえないのかも…の話を思い出したりもした。フィクションとしての走り―その中に含まれるかもしれない異様さ―が現実をおびやかす…笑
それから、奇遇にも今日私も小学校時代の美術の作品についてふいに思い出した時間があった。とくに賞は取ってないけれど県展に2回くらい選ばれた時のことを思い出し…。そのうちの作品の一つは、捨てるゴミを使って作った楽器だった。ギターを作ったんだけど、パイナップル型のアイスの容器にサングラスを貼り付けたもの(😎←こういうの)をギターの先端に付けたのが自分なりのポイントだった。そういうノリの子だったんだなー。もう一つはたしかオマージュ?という名画を参考にして作る課題で、私は参考も何も、なぜかピカソの泣く女をそのまま一生懸命真似して描き入れて、その絵の前でパレットを持ったピカソと自分がこちらを見ているという謎作品を作った笑 ピカソの絵が複雑で難しくて、休み時間を忘れてずっと描いていた記憶がある。その後の中学時代のデッサンのほうが絵を描くことの経験として重要事項だったけれど、今日はその小学校時代の2作品から自分という者のエッセンスを感じ取ろうとしていた…。 やっぱりどこかお笑いというか、(笑)みたいなところがある…。
夕方からスタジオに移動して制作。
夜はまたいろいろあって、今夜はFが夕飯当番だったのだけれど美味しいのを作ってくれて、デザートまであった。
牛肉って元気が出るね。
ポントルモの日記!これも一緒に池袋のジュンク堂に行った時に買ったんだっけ?
懐かしくなって本棚に向かってみたけれど、実家に置いてきたみたいだった。
ポントルモもつねに体調悪そうだったなぁ。
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