top of page
  • 日焼け派「描かれたプール、日焼けあとがついた」

20240307春佳 絵に描いた餅じゃなくて絵を描いた餅じゃん

「なんか日記書く気なくなってんだけど」「わかる!なんなら昨日もう書きたくなかった」ってさっき玲子ちゃんと話したけど、今禾が寝静まって自分は起きることに成功して、玲子ちゃんが途中まで書いてくれたステートメントを触っていたら急に書く気が起きてきた。日記ごころがむくむくと心の中で膨らむのを感じた。(日記ごころ?笑)


「オープニングパーティーのメニューのリクエストをどうしようか迷ってるんだよね~」と池田にいうと

「餅に絵描けばいいじゃん」って言われて

「なんで?」とキョトンとしたら

「だって絵に描いた餅なんでしょ」って言われて、その時私の脳内には今回1階の本棚に展示しているペインティング「開かれた本/咲いてる花」(英題Reality)が脳裏によぎったけど池田はその絵をしっかり見てはいないはずだしなんだ…?と思いながらそれより前にまず

「いやそれでは絵に描いた餅じゃなくて絵を描いた餅じゃん」

と言ってそれが結構面白くってもうそのあとは別案(ケンタッキーを何”piece”も買うなど(でもケンタッキーってイスラエル支援企業だから気持ちとしてはとても選択できないのが残念))がどんどん重なって、過ぎて、

その時はそうだったんだけど、


今、テキストを捏ね回しながら「描かれたプール」的作品ってなんだっけと思い出そうとしてたら、そういえば、「描かれたプール」的作品が社会的有用性によって価値が担保されるわけではない点を説明するために「描かれた餅」を引き合いに出して説明していたんだ、そのことを池田は言ってたのか。とやっとわかった。


でも今眠くなっちゃった!


昨日も今日もいろいろあった

今、朝約束していた連絡をすっぽかしていたことに気づいて気持ちが慌てた。荒んだ。あれもこれもやることがありすぎる。湧いてくる。我ながらよくやったと思う。なのに別の次元では何にもダメだった。(別の次元というロマンティックな言葉を何故か使っているが単純にもう一つの展示準備のこと)実は製本する時にスパッと指も切った。その絆創膏でタイピングが若干しづらい。それなのにその製本も一個目とは比べ物にならない下手さでなにが起きているのか。性格変わった?

もう日記を書くのはやめて現実を動かそうという気持ちになった。日記を書いているときは日記を書くことを生きている。昨日Hさんに「筆写をしているときはつまり完全にその文章を見ながら書くことはできないわけだから、一瞬頭の中に覚えてそれを書く、ということが起きてる」「それはスケッチ的な見て絵を描く仕草にも近い(あれそれはそう言ってた?自分がそう思っただけ?これ読んでるって言ってたHさんに話しかけてしまった)(公開してる交換日記じゃないとあり得ない次元が今生じてしまった!)」と指摘されて確かにそうだと思った。


一昨日、今日がこっち側にあると日記が書けないと感じてそう書いたことも。何か。


一応作品リストもマップも出来上がって、もうこれ以上ないほど展示がくっきりしたと思う。一階では私の陶器フェアも急に開催されている。作品リストを作って作品の名前などを考え直していて、今回、書かれなかった時間、描かれなかった時間のボリュームのことを、書いて書いて描いて描いたことですごく思うようになってると思った。それは描かないと起こらないことだった。作らないと起こらないことだった。


今日友達に「育児でもうだめだ~!!!ってなったりしない?」と聞かれて、「いや育児ではならないんだけど制作でなる、制作をもうしたくないんだよねこんなには今は」、と言ったけど、それは本当なんだけどそう言い切ってしまうとやっぱり嘘で、私は制作があってこそやっと人生を生きる形を自分なりになんとか手に入れうるのかもしれないと、保育園へのお迎えに急ぐ自転車に乗りつつ思った。これは本当にわがままで贅沢な悩みなのかもしれないと思った。両側から押されているというより両側に手を伸ばしている。それで勝手に引きちぎれそうになっている。それは自分の勝手でしかないけれど、それでも制作に何かしらの使命感みたいなものがどうしてもあるというか、それは真剣ですという態度というよりはヘロヘロのことをすることですら使命感に裏打ちされてる感じもするのは私の作品の感じというか、こんなことを書いたのは玲子ちゃんの作品がやっぱりなにかしらの使命感、というか、自分だけが背負っていて他の人には代替できないことを扱っているのではなくて実際にしている(この「扱っているのではなくて実際にしている」という言い回しは、さっき電話で「重ね合わせてるんじゃなくて”なってる”んです!って暴れ出しそうになる」と言った感じにかなり近い感覚の部分で書きながらウケてる)


そして、そうやって私が行っているのはどうも育児ではないような気がやっぱりしていて、できるだけよくありたいと思う、子に幸せであってほしいと思う、楽しく暮らせるようにと思う、それが一番であると思う、でもそうしきれない動きがある、だけれど禾のことをどうしても一番に思ってる、思っているというかもうやられている、しかし言葉の問題なのかもしれないけれどなんだかそれが育児というのはしっくりこない。今度は「育ててるんじゃなくて”いる”んです!」と暴れ出すつもりだろうか。



なんのはなしだったか。

寝ちゃおう、明日は日記に書かれないけれど、いろんなことが運びますように。

最新記事

すべて表示

20240507春佳 GW明け、さらに休み

今は0時過ぎくらいかな、と思ってケータイを見ると0時23分で、私はどうして分かったのかなと思った。 寝かしつけのまま9時半に禾ちゃんと寝入ってしまって、また「オパイ」と言いながら禾がうごめくので起きたのがその時間だった。 キッチンの方に行くと洗い物がそのままだったので洗う。夜の洗い物が朝あるのが嫌だ。でものぎと寝てしまうことの多さ。 今日は日記の日だ、今日は書くことなかったなと思いながら、滝口悠生

20240417春佳 今はもう、葉っぱ!

保育園行く前に家の中で転んでわーんと泣いてしまったので抱っこしていたら寝ちゃった禾ちゃんの下に敷いてあった布団を片付けてもうっすら目を開けただけでまた寝てる禾ちゃんの垂れ落ちたほっぺと輪郭を観察していて「あ!」と口に出した。 昨日日記書いてない。 日記を書くっていう使命があるから、寝かしつけで寝てしまわないで自分の時間を伸ばして過ごせる!と考えていたのに、私は。 寝たんだね~。 今は寝てる禾を横目

20240407玲子 🌸満🌸

7日が終わる30分前からこれを書き始めたから、とうに今日中に書き終わりはしないのだけど、 今日はたくさんのことがあって(というか金曜くらいから今日までいろいろ見たものがあって)、頭の中が渋滞しているせいで、前よりもまたさらに書き始めるまでが遅くなっている。 ところでまずはやっぱり、昨日の合図展のオープニングお疲れさま! 最後の方に顔を出したけれど、今日Yちゃんの撮った記録写真を見て、あ~挨拶も聞き

bottom of page