「なんか日記書く気なくなってんだけど」「わかる!なんなら昨日もう書きたくなかった」ってさっき玲子ちゃんと話したけど、今禾が寝静まって自分は起きることに成功して、玲子ちゃんが途中まで書いてくれたステートメントを触っていたら急に書く気が起きてきた。日記ごころがむくむくと心の中で膨らむのを感じた。(日記ごころ?笑)
「オープニングパーティーのメニューのリクエストをどうしようか迷ってるんだよね~」と池田にいうと
「餅に絵描けばいいじゃん」って言われて
「なんで?」とキョトンとしたら
「だって絵に描いた餅なんでしょ」って言われて、その時私の脳内には今回1階の本棚に展示しているペインティング「開かれた本/咲いてる花」(英題Reality)が脳裏によぎったけど池田はその絵をしっかり見てはいないはずだしなんだ…?と思いながらそれより前にまず
「いやそれでは絵に描いた餅じゃなくて絵を描いた餅じゃん」
と言ってそれが結構面白くってもうそのあとは別案(ケンタッキーを何”piece”も買うなど(でもケンタッキーってイスラエル支援企業だから気持ちとしてはとても選択できないのが残念))がどんどん重なって、過ぎて、
その時はそうだったんだけど、
今、テキストを捏ね回しながら「描かれたプール」的作品ってなんだっけと思い出そうとしてたら、そういえば、「描かれたプール」的作品が社会的有用性によって価値が担保されるわけではない点を説明するために「描かれた餅」を引き合いに出して説明していたんだ、そのことを池田は言ってたのか。とやっとわかった。
でも今眠くなっちゃった!
昨日も今日もいろいろあった
今、朝約束していた連絡をすっぽかしていたことに気づいて気持ちが慌てた。荒んだ。あれもこれもやることがありすぎる。湧いてくる。我ながらよくやったと思う。なのに別の次元では何にもダメだった。(別の次元というロマンティックな言葉を何故か使っているが単純にもう一つの展示準備のこと)実は製本する時にスパッと指も切った。その絆創膏でタイピングが若干しづらい。それなのにその製本も一個目とは比べ物にならない下手さでなにが起きているのか。性格変わった?
もう日記を書くのはやめて現実を動かそうという気持ちになった。日記を書いているときは日記を書くことを生きている。昨日Hさんに「筆写をしているときはつまり完全にその文章を見ながら書くことはできないわけだから、一瞬頭の中に覚えてそれを書く、ということが起きてる」「それはスケッチ的な見て絵を描く仕草にも近い(あれそれはそう言ってた?自分がそう思っただけ?これ読んでるって言ってたHさんに話しかけてしまった)(公開してる交換日記じゃないとあり得ない次元が今生じてしまった!)」と指摘されて確かにそうだと思った。
一昨日、今日がこっち側にあると日記が書けないと感じてそう書いたことも。何か。
一応作品リストもマップも出来上がって、もうこれ以上ないほど展示がくっきりしたと思う。一階では私の陶器フェアも急に開催されている。作品リストを作って作品の名前などを考え直していて、今回、書かれなかった時間、描かれなかった時間のボリュームのことを、書いて書いて描いて描いたことですごく思うようになってると思った。それは描かないと起こらないことだった。作らないと起こらないことだった。
今日友達に「育児でもうだめだ~!!!ってなったりしない?」と聞かれて、「いや育児ではならないんだけど制作でなる、制作をもうしたくないんだよねこんなには今は」、と言ったけど、それは本当なんだけどそう言い切ってしまうとやっぱり嘘で、私は制作があってこそやっと人生を生きる形を自分なりになんとか手に入れうるのかもしれないと、保育園へのお迎えに急ぐ自転車に乗りつつ思った。これは本当にわがままで贅沢な悩みなのかもしれないと思った。両側から押されているというより両側に手を伸ばしている。それで勝手に引きちぎれそうになっている。それは自分の勝手でしかないけれど、それでも制作に何かしらの使命感みたいなものがどうしてもあるというか、それは真剣ですという態度というよりはヘロヘロのことをすることですら使命感に裏打ちされてる感じもするのは私の作品の感じというか、こんなことを書いたのは玲子ちゃんの作品がやっぱりなにかしらの使命感、というか、自分だけが背負っていて他の人には代替できないことを扱っているのではなくて実際にしている(この「扱っているのではなくて実際にしている」という言い回しは、さっき電話で「重ね合わせてるんじゃなくて”なってる”んです!って暴れ出しそうになる」と言った感じにかなり近い感覚の部分で書きながらウケてる)
そして、そうやって私が行っているのはどうも育児ではないような気がやっぱりしていて、できるだけよくありたいと思う、子に幸せであってほしいと思う、楽しく暮らせるようにと思う、それが一番であると思う、でもそうしきれない動きがある、だけれど禾のことをどうしても一番に思ってる、思っているというかもうやられている、しかし言葉の問題なのかもしれないけれどなんだかそれが育児というのはしっくりこない。今度は「育ててるんじゃなくて”いる”んです!」と暴れ出すつもりだろうか。
なんのはなしだったか。
寝ちゃおう、明日は日記に書かれないけれど、いろんなことが運びますように。
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