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日焼け派「描かれたプール、日焼けあとがついた」

20240527春佳 夜中のポメラニアン

今は夜中二時。この前のSizzrerでの打ち上げ(最高!しかし胃が突っ張るほど食べすぎた2人!)の際、「7の付く日に『あ…日記…』と思って、それからだんだん書いてると言う意味で7であるのみだね」と話したね笑。

今日はね、かろうじて27日に書いてるよ。

といっても0時を回って大分経ってから書き始めている。

でもまだ27日の続きにいるつもり。


夜9時に禾ちゃんを寝かしつけて自分もうとうととしてそのままもう今日が終わるかの瀬戸際にいたんだけれど、10時頃にふと禾が体を起こしてゴホゴホと咳き込んだその瞬間吐いてしまったのを両手で上手に受け止めてすっかり目が覚めた。目が覚めていたかのような順番の動きだったけれど、受け止めてから目が覚めたことに人間の意識の真理を感じる。

暖かいご飯粒の感触。



池ちゃんも起きて着替えさせたりかわいがったりして、禾はまたすぐ眠ってくれた。

洗い物。すっかり目が覚める。

それから、もう7の日のことは頭にあったんだけど、あんまりにも何にもない日だったため書く気にならないというか書く自分になっていないというか、禾が「アリシャ!」と言いながら蟻を追いかける姿が今日のハイライトであるのがいいんだけど、それだけのモードではいられない気持ちになって、せっかくだから遊ぼう!と思って、夜なのにコーヒーを淹れた。昼淹れる隙間がなかったコーヒー。

それで、昨日図書館で借りたマンレイの自伝を読んだりして遊んでいたらこんな時間になった。


いや、その前に、私って犬飼いたいんだよなあ、いつそれが実現できるんだろう、それってもしかして私の夢じゃない?と思って、犬のブリーダーのポータルサイトを見てたら茶色い熊みたいなポメラニアンを見つけてそのなんとも言えないとぼけた顔がかわいすぎてその動画を見て涙ぐんだりしている時間もあった。どういう時間の使い方をしてるんだろう。でもさ、ポメラニアンってすごい狐というか柴犬というかお犬っぽい顔の子もいれば(みかんはけっこうそうだった)、へちゃむくれでかわいい顔の子もいれば、なんかハムスターみたいな顔つきの子もいて、その幅がめっちゃいい。



「マン・レイ自伝 セルフポートレイト」って、結構タイトルだけで「ウッ」と来るっていうか、もうマンレイの名前すら男性性がツヨッてウッとくるんだけど(単純偏見)、なんか一昨年川村記念美術館の常設で見たオブジェにへんな興味がそそられていてそれなのに結局それから触れていないのと、なにか一人称視点でのある意味偏った美術史的なものをもっと受け取りたいな~みたいに思っていて、しかもそれで去年も借りたのにも関わらず結局日々に追われて全然読めないで返却した本だったんだけど、最近小説読めるようになってきたしいけそう、と思って、借りた本。


「今ふりかえって、自分の好奇心と発明の才能の多様さに感嘆せずにはいられない。わたしは、事実、もうひとりのレオナルド・ダ・ヴィンチであったのだ。」(p.14)

スゲー

すでにウッとくるよね。

でもこんくらいでもいいのかもな~とも思う。

そうではないので、こうは、なれんが・・・

それでも、

お調子者であることを隠さなければいけないと最近思っていた!そんなことしなくていいっぽい。と、先週絵を描いて、その絵について阿部さんと話して、遊んでいて、ふと気づいた。

あ、マンレイに興味があるのは、玲子ちゃんが禾誕生時、「宮沢賢治とマンレイと(あともう一人誰だっけ!今忘れてる)同じ誕生日」と教えてくれたのも私にとってはきっと大きい。すごい浅はかですごい軟派ですごいミーハーな私の運動!




今日は禾は保育園をお休みしたんだ。

昨日ふと38度の熱が出ていて、今朝はもう平熱だったんだけれど咳が残っていたから念のため休んで二人で過ごした。

病院に連れて行く過程で、線路を超素通りしたら「電車が見たかった!!!!!!!!!!!!!」という意志で「ウワアアアアアアアアアア!」と泣いて病院についてもなかなか自転車から降りてくれなくて、かわいそうかわいかった。目と口を大きく開いてポロリポロリと涙をこぼしてかわいい人。そんなに何も急いでいないのだから、希望をふと叶えてあげればよかったんだけれど、失敗した。その後待合室では置いてあった「きかんしゃトーマス・パーシーのせんすいかん」を読んでいない瞬間は叫ぶ不機嫌さで、少なくとも6回は繰り返し読んだ。いつもは待合室で興じている木のおもちゃを手渡しても、今日はウウウンと首を振って突き返した。意志が増えてきている。意志が増えてきている分の言葉が出てきたら、涙にならないでいられるんじゃないか…ともどかしくもある時期。《時期》と思うと、そんなに心配せずにいられる。でも、この禾の主張とこちらの主張がぶつかる箇所が出現する可能性がある現実を生きる今、美術館とか公共交通機関とかでガンガン連れてっちゃおうという勇気が多少減じる。そういえば先週末行ったセタ美の民藝展では会場に入った瞬間「ウアアアア!」となってしまって、もう一歩楽しめたところを踏み込めなかったねえ、物の持つオーラを感じたんかねえ…と超駆け足で見終えた展示を振り返った。Up&Comingでも、そういえば床におなかをつけて「ウアアアア!」と言っていたな。かわいい。目と口をめちゃめちゃ開けて泣くときの顔がめっちゃかわいくて絵に描けない。かわいいという話ではなくて、主張が出てきてそれが言葉にならないのは、まあ時期なんだねと思ってやり過ごそうとしている。玲子ちゃんにこの前ちょっと「公園にいたいvsそろそろ帰ろう」を相談したら、「でもそういうもっと遊びたかった!っていう感情も感じていいんだよ」と言われて、確かにそうだなと思えた。

禾ちゃん帰りは踏切で3本電車を見て手を振って、満足したみたいだった。


公園でアリを追い「アリシャン!」と叫び、夜はオムライスを食べた。



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結局この後禾が咳で起きてしまったのが聞こえて、部屋をのぞき込んだらパジャマの前をはだけて強い顔で暗闇の中立ちすくんでいて、いさましくてかわいかった。咳の薬を吐いてしまったからもう一度飲もうか、と飲ませると、その後なぞの遊ぶモードになってしまって、寝たのは4時過ぎだった。今は朝の八時前。池ちゃんはもう仕事に出た。


夜中遊んでいるとき禾は結構冴え渡っていて、ももが描かれたカードを指さして「ヴォヴォ!」と叫んだり、「鹿」「スイカ」「アリ!」「イチゴ」「ホン」「イス」「ザゥサン」と読み上げたり、蛙やウサギや馬や虎のまねをしたり、手が描いてある部分に私の手をあてがって「イッショ」と言ったり、池ちゃんに買ってもらった「だるまさん」シリーズ三冊を私に一冊読ませつつ自分も一冊めくるスタイルで内容を真似したりと、あんまり見たことがない盛り上がり方をしていた。脳みそがオーバーヒートしていたのかもしれない。


昨日の夜、ナビ派についてちょっと調べていて(半分くらい好きな絵が多いのとなんかちょっと日焼け派っぽくね?と思ったからなんだけど笑、まあちょっと違うと思ったのをまた今度話したい)、1988年頃から毎週土曜に会合を行っていたらしいというのを読んで、夏目漱石の「木曜会」という1906年頃から行われていた集まりのことを思い出した。(栗原先生が「激しくぴしぴし思ったことを言い合うんだけど、そうすると思ったことが十分に言えてのんびりする、と言うことが起きていたらしい」と紹介していた)サロン的な集まりが同時代的に盛んだったのか、いつだってこういうのはあるのか、と思ったり、1916年12月9日に漱石が亡くなるとそこから「九日会」に改められて継続したというのを読んで、ちょっと7の日に思いを馳せた。


交わし合うこと。それが次もある中であること。


この前の打ち上げの時についに玲子の近未来が発表されて私はわくわくしたんだけれど、それで、これから、新たな生活の中で7の日がどうなっていくんだろう!と思う。

私の来年のこともモヤ~と思った。多分何にもなくなる私…。


次はスケッチをしたいよね。次の7の日の前にできるかな?それとも。

石神井公園も鬱蒼としていていいんだけど、少し玲子ちゃん家から行きづらいかしら。また相談しよう!



そういえばポメラって言うワープロを買ったの。今回はそれで書いてみた。あんまり変わらないか、どうだろうな。ポメラを使ってる人のことをポメラニアンと言うらしいが、そのセンスのオジサンぽさにまたマンレイとは別の方向からウッときます。

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