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日焼け派「描かれたプール、日焼けあとがついた」

20240817(27.28.29手紙じゃん)春佳 なくしていた輪郭

17に日記書けなくてごめん!とLINEで言ったら

もはや27日に同時に書く?😁 と玲子ちゃんが言ってくれて

いやいやでも26日には書く、、、みたいなことを私は言っていたけど

もうこれは27日が終わった夜。

ほんの少し、暑さが和らいできたね。


長野で過ごした8月17日は殆どムードだけが残って、あとは消えつつある。

どこまででも歩いていける禾ちゃんと二人だけで過ごすのが以前よりもちょっとハードで、なぜならどこまでも歩いていってしまうからで、それを制する仕組みが空間に特にない場合、玄関の鍵、仏壇の線香、電話機、犬のトイレ、濡れたお風呂場に対して自分の身体と精神を使ったバリアを張り続けていることになり、すると、何かに1人で取り組む時間が隙間にしかなくて、それは結構辛いんだなとわかった。長野とはいえ暑すぎてなかなか日中外で楽しめないというのも大きかった!予想していなかった感覚を生きていた。そんな中、Aちゃんの赤ちゃんに、会えたよ〜!


書いてるうちに思い出してきた。

17日、禾がふとおっぱいを噛んでしまったから、「おっぱいエンエンだよ」と伝えて、本当にチョロっと泣いている目を描いてみた。>< こんな。そしたらおっぱいがちょっともぐらみたいでめっちゃ可愛かったんだけど(笑)それはもちろん余談で、そうすると禾はなんと、そのおっぱいを飲まなくなっちゃって、仕掛けた自分がたじろいだ。

ただ、禾はそのあとウワー!となって、「のりものタウンみる?」「ううん」「おかしたべる?」「ううん」「二階で遊ぶ?」「ううん」「おっぱいのむ?」「ううん、ウワー!」と他の何でも満たせない部分をしかしモグラちゃんになったおっぱいも飲んではいけないので飲みたくないというアンビバレンスに引き裂かれてイヤイヤした後「アカチャンアイタイ」と言って泣くので、ほんと?と疑いながらAちゃんちに泣きながら向かってAちゃんと赤ちゃんに会って「禾えらいね、おっぱい飲まないでいられてるの」と声をかけられると、ふと落ち着いて

「ガンバッタ」

と前を見据えながら自分で言ったので、周りの大人は本当に笑ってしまった。

というできごとがあった。


そのあと禾と私2人で食べることになった夕食時も、食べたくない!食べたい!2階に行きたい!一階に行きたい!ウワー!となってしまって、「オツィサマアイタイ」と繰り返すので、お月さま会いたいの?じゃあお外行こうか?と聞くと「オツィサマアウ、オソトイク」と言ってて可愛くて笑ってしまった。抱っこしたまま外に出て、いろんな話をしながら歩いたり家の近くの踏切で電車や新幹線を見た。うちの近くの踏切で新幹線も見ることができるというのは禾とこうして過ごすまでは知らなかったことだ。ここに中学から高校の6年間、それと大学卒業してからの3年間住んでいたのに。

(実家にはもっと長く永遠に住んでいたような気がしているけど、今自分が住んでいる東京のマンションはなんだかんだもうすぐ住んで7年目になる、そう思うと子供が家に住んでいる期間って本当に短いんだなと禾の巣立ちを思ってウッとなるのと、今だけの仮住まいだと思っているこの居住空間がいつのまにか人生になるわけなのだから私は今この家をめっちゃ気に入ってるわけでもないのにまあまあの気に入りと共にのんべんだらりと住み続けるべきなのかねとも考えることになる。)


踏切脇のぽんちゃんラーメンの会社の横を通って入り口にたぬきの置物が二体いるのを伝えると「カサ」と禾はその奥にある傘立てに多くの傘が刺さっているのが気になるようだった。抱っこしている私のデコルテにほっぺをぴっとりとくっつけてくる感覚がすこしひんやりとしていて、それは珍しい感触と仕草でもちろん可愛いから歓迎しつつもこれはもしかしたらこの仕草によって本来おっぱい吸うことで得ていた何かを得ているのかもしれないなと感じた。でもこちらも何かを得ているなと思った。

なんとなくどこにも残らず誰にも記録されない2人きりのこういう時間が私にとって本当に安らぎであるなとわかる。時々こういう瞬間があって、代え難い。嬉しい夜の散歩だった。


17日のなくしていた輪郭をこうして書くことで少し取り戻せて嬉しい。

日記よ!


19日に帰ってきた東京の家は本当に狭いけれど、それでもやっぱり我が家という暮らしやすさがあった。


そういえば、その頃、地震注意の報道があったね。

実際15日に東京に帰る予定だったのを少し延ばして長野に滞在していたのは、もしこれで帰ったことで禾と地震に遭遇したらと思うととても怖くて、だけど自分の仕事や製本の〆切を考えると帰らねばならないと思うタイムリミットとの間が19日だった。

今だって地震は怖いね。

眠くなってきた。



____


今は28日に禾と池田と新三郷トーマスタウンへ行った帰りの電車でこれを書いています。

何が7の日なのやらわからなくなってきた。

禾は昨日27日、ぶじ2歳になったよ!✌️

おめでとうの念を送ってくれてありがとう!笑

禾はケーキを食べたことはないのに箱からホールケーキが出てきた瞬間目が輝いて鼻の穴が膨らんでそのままの顔で足踏みして歓喜していて本当に可愛かった。ホールケーキの上のイチゴを全部食べたり初めてのクリームをうっとり舐めたり蝋燭を消したりケーキを食べたり楽しんでくれていた。人間にとってケーキって特別なものなんだね。確かにあんまりにも綺麗だものね。

もうひとつ印象的だったのは、YちゃんとAさんに人見知りしつつ挟まれ座った際に現実逃避?乖離?なのか、目をムーと瞑って開かなくなってしまったこと。

「どうした?」と抱き上げてもムーと目を閉じたままグデンとしていて「どうした?!禾?この衣装くびしまってる?」(去年も着た小さいタキシードを無理矢理着せていた)と心配しても目を閉じてフッとした顔のままでグタッと反応がなく、一瞬みんなシーンとなってしまって、え~?と内心すごい心配しながら別部屋に連れて行ったら、パッと目を開けて「へへへ」と笑っていてちょっと~(笑)!となった。


それで、今日トーマスタウンの洞窟の暗がりに入る怖いアトラクションにおいても、のぎはその現実逃避の技を使った。洞窟に入って、ほら、コウモリさんだ!と指差しても目を閉じでフッと《私はここにいません》という状態を見せていて笑えた。加えてさらに私の服に顔を埋めてやり過ごしていて、気持ちはわかるので自分の小さい時の心を思い出すのと、人によってはこういうやり過ごし方じゃないだろうなという個性のあり方を感じるのと、何か人としての新しい感覚の芽生えに感動もしたし面白かった。



――

そして今、29日!

これ何?日記?笑

手紙かもしれない。笑

次はその日に書きたい!


私も『晩春』を見ることができて、あまりに面白かったという話をこの前玲子ちゃんに会った時ちらっとしたね。

それは長野滞在時の朝方に、何か自分の時間を捻出しなくちゃというガッツと共に二回に分けて見た。

心の底から面白がれる自分に驚きもしたというか、逆にこれをたくあん繋がっちゃうのくらいしか記憶しない感じでしか見てない十数年前の自分にものすごい驚きも感じていて、そのようなことも話して交わしたね。

なんか、《確認》としてではなく、自然と面白がることができたことって、歳を重ねることに希望を感じる出来事でもある!


でも、確認といえば、アヤちゃんとの夜のお茶のパンのシーンは「これか〜」と確認の気持ちと共にあったよ笑。お手手繋いでブンブンしてる二人の無邪気さが最高。全然二人ともキャラクターは違うけれど、勝手に玲子ちゃんと自分を重ねて見ているところもあった。別のシーンでぽろりとひとり涙をこぼした後でご機嫌斜めの原節子に「なによヒス!ケーキ食べなさいよ!私が作ったのよ!」ってでっかいケーキ持ってるアヤちゃんもよかった。

それと、笠智衆の佇まいって何か印刷された文字のようだなというのをあの棒読みと合わせて感じた。アヤちゃんに「おじさま大好き!」とギュッとされて目白黒させててもなんかベトッとした感じがしないような、なんとなくカサッとして清潔な感じ。読む側がいくらでも投影できる感じ。だから、エディプスコンプレックスとかそういう見方に回収したくないというのに賛成もするし、原節子の艶かしさを相殺するくらいには(相殺するからこそ性的なところが現れ出ているという話にもなりかねないけれど)パサっとした文字のような佇まいだなと感じた。

京都の寝床の壺のシーンはハッとしてあれはなんだったんだろうかと検索してしまったけれど笑、これを性愛を現しているなんて言ってしまうのはもはや何かが何かを隠喩するという考え方でしか作品を見ることができない病気のようなもので、そうではなくて、壺は壺としてそこに流れている時間の長さみたいなものをどしりと質量として見せていて(それは背後の植物の影のゆらめきと対比されるのかもしれない)、その同じ空間にて先に寝入ってしまう父と話しかけていた娘に流れるそれぞれの時間みたいなものが単に見せられていたんじゃないかな。ごはん一緒に食べない!って原節子が父からどんどん距離を離して行ってしまう能舞台帰りの道、その道のような、場みたいな時間として壺はあるだけなんじゃないかな〜と、感想。




玲子ちゃんは玲子ちゃんで8月の初めは少しいつもと違う一人のリズムの日々だったんだね。

ホームページ更新めちゃえらい!写真はまだだね…!(←チェックしてせまる人笑)

かくいう私のホームページはもう2014年くらいで止まってるから、、、って、10年前だからやばすぎる。まじで作り直すか更新するかどうにかしたい。。。あの紙をめくってるくらいのボタンと進みの感覚しかないいにしえの作りは気に入っているのだけれど。。。玲子に影響されてぐっと踏み込みたいな。

山口のお母さんの運転に想像の中で乗車して一緒にスリルと眩しさと楽しさを感じた。山口って一度少し通り過ぎるようにしかいったことがないけれど(確か秋芳洞を楽しんだ思い出!)、また行ってみたいなあ。あと、さっき玲子ちゃんのブログの韓国アレックスカッツ展レビューを久しぶりに読んで、玲子!好きだ!と思いながら笑、どこかにいく嬉しさも勝手に浴びた。日本の中ですら行ったことがないところ、たくさんある。そういえば今展示している長野の茅野も私は今回初めて訪れたんだけど、「諏訪生まれなんです」って言ったら「諏訪なんてここだよ」と言われてなんか面白かった。

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